移動ドで考える訓練について

前説

移調に関するすべて」で書いたように、初見能力のある人ならば移調奏自体はそんなに難しくはない。

音符の符頭(おたまじゃくしの玉のところ)が譜面上で上下に移動したものとして考えて、かつ調号を頭のなかで変えればいいのである。

符頭は、基本的には、行き先は6つしかない。二度上(七度下)、三度上(六度下)、四度上(五度下)、五度上(四度下)、六度上(三度下)、七度上(二度下)である。

しかも、二度上と二度下はお隣りなので覚えるほどでもない。五度上、五度下はピアノ奏者ならば、左手で弾く和音としてしょっちゅう出てくる形なので当然、手が覚えているだろうし、三度上と六度上もピアノ奏者なら…(略) ともかく、なんとかなるだろう。

次に、移調奏が曲分析のときに役立つかという観点で考えると、まずC major scaleへの移調は一番簡単だし、ここに移調してしまえば、ドレミファソラシで考えることが出来るので初心者にとっては分析する上で一番やりやすいものと思われる。

ところが、曲の途中で転調している場合はどうだろう。

例えば、短三度上に転調するなら、転調前をC major scaleに移調して解釈するなら、転調後の部分をE♭ major scaleに移調しなくてはならない。これはなかなかやっかいで、このように移調すると#や♭がたくさんつく調になってしまい余計に理解しにくいことがある。転調後の部分もC major scaleに移調したい。

しかし、そうしてしまうと、転調する小節において、いまの調でのVの和音が次の調のIの和音でもある、というように二つの意味を持つことがあるわけだが、その部分が理解しにくくなる。この部分を無視して、転調後の部分もC major scaleに移調して曲を分析するのはアリだとは思うが、やや、まどろっこしい感じはする。

そこで、移動ドで考える訓練が必要になるという理屈である。

移動ドで考えることが出来るなら、この調のVの和音は次の調のIの和音だな、というように理解することは容易である。

移動ドで考える訓練の弊害

絶対音感のある人は移動ドで考える訓練をしようにも、「この音は“ファ”にしか聴こえない。」とか言い出して、なかなか訓練が進まない。逆に絶対音感のない人に移動ドで考える訓練をさせると絶対音感がいつまでたっても身につかない。固定ドでの音名を間違ったまま覚えてしまう。

本当は絶対音感を身につけてから、然るべき指導のもとに移動ドで考える訓練をすべきだとは思う。ただ音楽教師がそのような指導をしたくとも、絶対音感がついたころにピアノのレッスンをやめてしまい、移動ドで考える訓練が全くなされないままという人も結構いる。(たぶんピアノが趣味の人の9割以上がそうだと思う…)

移動ドの読み方を変えてみる

ともかく、絶対音感がある人もない人も、移動ドで考える訓練はいろいろ弊害があるので代わりの方法を考えてみたい。

まず、ドレミファソラシは、固定ドで考えるときだけに用いて、移動ドで考えるときには別の読み方をするのが良いのではないかという案だ。一例としては、ドレミファソラシの代わりに1,2,3,4,5,6,7にするだとか、c,d,e,f,g,a,bにするだとかである。

後者はcとシが紛らわしかったりするので、数字にしておけばそういう混同はないと思うが、「さん、いち、よん、ろく、ごー、なな」とか言っていると音符が読みにくくて仕方がない。二文字なのがよろしくない。

そこで、「い、に、さ、よ、ご、ろ、な」と一文字化して考えることにする。4を「よ(よん)」と読むのは、「し」と読むとシと混同するからである。

これは、なかなかいいアイデアではあるが、臨時記号をどうするかという問題がある。適当な文字を割り当てるか、頭のなかで「5#」のように思っておくかである。

頭のなかでだけ考えておく方法

実際に読み上げると固定ドでの実音と紛らわしくなるので移動ドを頭のなかでだけ考えておくのも一つのやり方である。

例えば、G major scaleでソラシというメロディがあったとして、これをそのままソ、ラ、シと読み、頭のなかでド,レ,ミに相当するものとして考えるに留める、というやり方である。

これであれば新たな読み方は必要ないし、固定ドと混同することもない。ただ、訓練に多少時間がかかるかも知れない。

この方法はまどろっこしいと思われるかも知れないが、結局はこれに類する訓練はしたほうがいいと思う。根拠は次で述べる。

転調のための訓練

転調において、転調前と転調後の二つの調から見て(それぞれの調の移動ドとして考えて)その音が何であるのかというのが問題になる。

つまり、一つの音に対して転調前の調での(移動ドによる)レで、転調後の調での(移動ドにおける)ソ、みたいに二つの音名が割当たる。

転調部について考えるときは、このように一つの音が多義的に解釈されるので、上手に転調しようと考えたときに、このように一つの音に対して頭のなかで瞬時に二つの音名が浮かぶような訓練をしてあると自然な転調部が書ける。(かも知れない)

頭のなかで瞬時に12の調それぞれでの音名が浮かぶような訓練をしてあると、あるメロディラインに対してそのメロディがマッチするような和音を持つ調を瞬時に列挙できる。(かも知れない)

そこで、結局は実音(固定ドでの音名)とは別に、12の調での移動ドでの音名を同時に思い浮かべられる訓練はしたほうが良いということになる。

移動ドに対する批判として「現代音楽のような調の確定しない楽譜に対して移動ドだと対応できない」というものがよく挙げられるが、ここで言うトレーニング法は、移動ドのみで考えているわけではなく、固定ド+現在の調で移動ド+転調後の調での移動ドというように同時に多義的に解釈する訓練をしているので、そう言った批判は当てはまらないと思う。

まとめ

  • 固定ドでの音名を言いながら頭のなかで移動ドで考えられる訓練をしよう。
  • 演奏しながら頭のなかで和音の度数表記(IV△7とかV7とか)を考えられる訓練をしよう。
  • メロディが現在の和音に対して何番目の音であるかを考えられる訓練をしよう。

作者 やね うらお

BM98,BMSの生みの親 / ヒルズにオフィスのある某社CTO / プログラミング歴37年(5歳から) / 将棋ソフト「やねうら王」開発者 / 音楽理論ブログ / 天才(らしい) / 毎日が楽しすぎて死にそう

コメント (7)

  1. 記事を拝見しました。
    大学~大学院と、音楽大学にて音楽理論を専門的に学んでいた者です。

    事実誤認をされているように見受けられますが、「ドレミ」はもともと階名として用いるのが本来の使い方で、それを常にハ長調に固定して読むようになったのが「固定ド」です。

    おそらく、楽器のレッスンなどでハ長調ばかり扱っていた結果、音名と階名を混同してしまう人が増えたことが、そのような事態が起こった原因であると思えます。

    そのように考えると、「『移動ド』で考える訓練の弊害」に、「『固定ド』での音名を間違ったまま覚えてしまう」があるとのことですが、
    そもそも最初から「『固定ド』の音名」(ハ長調に固定して、その結果音名化したドレミ)などという概念は持ち出さず、
    「音名であればCDE」と「階名であればドレミ」を区別して訓練すれば、まったく問題は生じません。

    このことについては、東川清一氏の諸著作でも詳しい解説がなされています。

    • > 「音名であればCDE」と「階名であればドレミ」を区別して訓練すれば、まったく問題は生じません。

      いや、音名をCDEでだなんて、読みにくくてたまりません。大問題です。
      Cを「シー」と読むのか、「ツェー」と読むのかは知りませんが、いずれにせよ一文字として読めないです。

      ピアノ演奏中に「フィス、ツィス、ゲー」なんて心のなかで読んでいる人はいないでしょう。そこそこピアノのうまい人はそもそも音名/階名を読んですらいないとは思いますが、仮に読んでいるとしたらこの場合、シャープを外して「ファ、ド、ソ」のように読んでいるのが普通です。しかしその場合、正しい音名でないばかりではなく、正しい階名ですらないので、こういう状態で訓練を続けると音高と音程のどちらも間違って記憶してしまいます。

      そこで1オクターブ、12音に対して音高を一文字で読める呼び名が必要であり、例えば、西塚智光先生が考案された「ドデレリミファフィソサラチシド」のように読み上げたほうがまだマシだと言うのが私の主張です。階名の由来がどうとかそんなのは全く関係ありません。

  2. お返事ありがとうございます。

    >ピアノ演奏中に「フィス、ツィス、ゲー」なんて心のなかで読んでいる人はいないでしょう。

    いや、私はまさにその「フィス、ツィス、ゲー」で読んでいます。少なくとも、最初の譜読みの段階で、遅いテンポで音を一音一音確かめながら弾く時はそうです。
    最近は「ハニホ」を使うこともありますが。

    そして、(まだピアノに特化した指導を行ったことはないのですが)もし私がピアノ教師になったとしたら、生徒にも最初からそのように教えるつもりです。
    (「最初から」というのが重要な点です)

    そして、私は音名は「CDE」、階名は「ドレミ」を徹底して区別して実践し続けているので(私は音名唱であれば本当に「ツェーエーデー…」と歌います。最近は「ハニホ」を使うこともありますが)、音名と階名が混乱することはまったくなく、大変都合が良いです。

    というより、音名は階名とは違い、実際に歌いつつ音を「感覚的に身体に刷り込む」ための言葉というよりは、音を「頭で理解する」ための言葉だと考えているので、そもそもソルフェージュ用の「歌唱シラブル」にする必要性をあまり感じていません。
    (もちろん、そのような「音名唱」の訓練が有効な場合もあることは否定しませんが)

    「音名」は絶対に必要だが、「音名唱」はあまり(「絶対に」ではない)必要ではない、というのが私の考えです。
    他方で、階名に関しては、「階名」も「階名唱」もどちらも絶対に必要である、と考えています。

    そして、その階名としては、歴史的に「正統」な「ドレミ」を使用しているので、そのことに由来する強味というか、過去の大多数の人としっかりつながっているという「喜び」を感じています。

    実際、ドレミ階名を使用することで、西洋音楽史や音楽理論を歴史的に深いレベルから理解することができるようになり、何よりも、音楽を勉強することが大変楽しくなっています。
    (特に中世~ルネサンス時代の音楽理論が面白すぎます)

    歴史的に見れば「移動ド」は決して少数派ではなく、むしろ多数派であるからです。

    要約すれば、投稿者様とは異なり、「階名の由来がどうとか」は、私にとっては「大変関係ある問題」です。

    また、私と同じような姿勢で音楽に取り組むことにより、音楽の楽しみの幅が広がる人が多いことも事実だと思われます。
    (まだその「楽しみ」に単に出会ったことがないだけ、という人も多いと思います)

    なお、私も「もし『音名唱』をするのであれば、12音に対しては(それどころか、CisとDesのような異名同音に対しても)異なる音名を割り当てるべき」という点に関しては、投稿者様に賛成です。

    • > 私がピアノ教師になったとしたら、生徒にも最初からそのように教えるつもりです。

      教育のターゲットをどこに設定するかというのがまずひとつの問題としてあるんです。あなたはおそらく子供をターゲットとして想定しておられるように見えます。

      生徒が子供であれば、音名なんてどうでもよくて、絶対音感もすぐに身につきますから、頭のなかで音がなってて、それと同じ音を自分の楽器で演奏するだけで済みます。このとき音名はそれを説明するための記号の意味でしかなくて、実際の演奏時に音名を経由していません。なので音名はどれだけ長くても問題ではないです。

      ところが、大人の場合、このへんの事情がずいぶん異なります。幼少のころに音楽的な経験をしていない大人にとっては、頭のなかで鳴っているのが音ではなく、言葉(音名 or 階名 or etc..)なのです。なので、ピアノ演奏のときに♭や#を外した音名で覚えたり、あるいは運指で覚えたりします。それらは適切な音楽的な訓練とは到底言えない部分がありますが、そうは言っても現実的にはそうせざるを得ないのです。

      そういう状況において音名が言いやすいことは必須の条件になってくるのです。

      音名と階名については長くなりそうなので別の記事で詳しく書きました。

  3. マヨネーズ

    >頭のなかで鳴っているのが音ではなく、言葉(音名 or 階名 or etc..)なのです。

    おや、実はみんなそんな感じなんですね。
    私の場合、その言葉も覚えてないので、それさえも鳴りませんが・・・。

  4. ああああああああああああああああああああああああああ

    なるほど そういうことですか

  5. 私は、素人です。残念ながら幼少期から音楽教育を受けていたというわけではありません。
     最近、ピアノの譜面を見ながら、CDなどで曲を聞いております。時々、ドレミを心の中で追っかけたりします。右手左手ありますから、相当危なっかしい形です。
     ドイツ式で音名を用い、「フィス、ツィス、ゲー」と心の中で読むのは、区別が明確になる点ではよい方法だと思います(ドイツ式ですと、階名も音名と同じでしょうか?)。ただ、四分音符や八分音符では可能かもしれませんが、それ以上になると少しずつ厳しくなってきそうです。心の中で読む分には慣れれば可能かもしれないと思います。しかし、声に出すのは、私の場合は、たぶん無理、少なくともやや乱れるような気がします。そもそも、右手左手の双方を声に出そうとする時点で滅茶苦茶な話ですが(実際は、メロディ―だけしか声に出しません。トレモロの類や、和音の類も、舌が縺れて全く対応できないところです)。
    結局、「ドレミ」でメロディーのみ、追っかけるのが一番楽ですが、確かに、シャープやフラットは対応できていません。しかし、すべて「子音+母音」でワンシラブルなところが助かります。ツーシラブルだと、辛いと思います。
     西塚式も興味深いと思います。黒鍵に対応しています。しかし、日本ですらそれほど普及していないようなのが難点だと思いました。いくらすぐれていても、『デファクトスタンダード』を取らないとうまくないと思いますので。アメリカ式のソルフェージュに似ている面があり、驚きました。ただし、アメリカ式ソルフェージュですと、ピアノの黒鍵に対応するというよりも、たとえば、Soに対してSeとSiを設けたり、Laに対してLeとLiを設けています(つまり、一つの黒鍵に二つの名)。ただ、Doのフラット、Tiのシャープが存在せず、Miのシャープ、Faのフラットが存在しないみたいではあります(対応させるべき黒鍵自体がないからか、素人の私には不明です)。
     Carl Eitzによる「音語法Tonwort」の話も興味深いと思います。音楽大学(日本の音楽はドイツ系が多いと推測しています)では有名なのかもしれません。機会があれば調べたいです(当方、ドイツ語できず)。
     アメリカは、あらゆる面で力がありますから、そういう意味では、アメリカ式ソルフェージュかなと思っておりますが、いろいろ詳しい方の意見を伺っていきたいと思っております。

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